中組は、御坊祭に参加する氏子組の中でも歴史が古く、祭りに当初から参加していたとされ、また、今から200年近く前には既に四つ太鼓が存在していました。小竹八幡宮が地下(地区内)にあることから、宮本として宮入では常に一番を務めます。御坊祭には欠かせない存在で、祭りの主役とも言える組であります。


 通称は新町と言い、当ページの表題通り、古くは『新町組』という組名で、明治以降に中組に変わったといわれています。中組とは『薗中組』の略であり、名の通り薗地区の中心ということです。新町という名称は、小竹八幡宮がまだ元宮(現在の市立体育館付近)にあった頃、江戸時代初期の嘉永8年(1631年)に、紀州藩主の徳川頼宜公が現在の小竹八幡宮の場所に『薗御殿』という別荘を建てて、この御殿から御坊町までの場所に新しい町、『新町』という町を作り、御殿の世話を命じたことに由来します。

◆組印の由来
 中組の組印は「盃」です。宮本組なのに、なのに何故「鳥居」じゃないの?と思われるかもしれません。ちなみに鳥居は御坊町が組印となっております。これは神社への献金が関係しているのではないか?という説があります。また、新町が「盃」に決まった理由としては、新町には今も残る伊勢屋などの酒造が多かったから、という見方やお目出度いものから選んだ、という理由等諸説ありますが、鳥居の組印についても、古文書には記されていないため、真相は、江戸時代の人に聞いてみる他なさそうです。