祭礼には四つ太鼓をはじめ、様々な道具が登場します。
ここでは中組が有する主な祭礼道具について、ご紹介致します。

  【かさぼこ】

 傘鉾は御坊祭に限らず、全国各地に登場する祭礼道具の一つです。

 御坊の傘鉾は構造的には四つ太鼓と似ており、竹の棒の上に竹で組んだ円形の傘の骨組みに、天幕のような幕を飾り、その上に幣を建てたものです。祭の始めから祭の終了まで、小竹八幡宮の神社境内に建てられています。(ただし、お渡りの際は当然同行する。) これが御坊祭の宵宮が「傘揃え式」と呼ばれる所以です。また、祭の終わりは「傘破ち」とい言われるように、傘鉾が御坊祭で非常に重要な地位にあると言えます。組によっては10月4日の午前0時に建てられる組もありますが、中組では日が昇ってから建てられます。また、御坊町は4日には小竹八幡宮に建てられず、日高別院の近くに建てられます。中組の傘鉾には「放生會」と刺繍されてます。傘鉾は、かつては大きな傘に布をつけたような簡単なものであって、祭礼が終わると「傘破ち」の名前どおり破られていたものと見られますが、傘鉾が重要な地位に位置付けられてきて現在のような豪華な幕になったのではないかと推測されます。



    【のぼり】

 幟(のぼり)は「しるし」とも呼び、名の通り、組の象徴ともいえる道具です。

 幟は氏子組各組が十数本所有しており、宿や地下の境界線に祭礼期間(10月1日より5日まで)の間立てておくものと宮入に使用するものなどに分かれます。御坊祭の幟には五反幟、三反幟、二反幟があり、それぞれ反物を何枚横に次いだかを数を表します。もちろん、数が大きくなるほど幅が広くなります。写真では一番左が五反、一番右が二反、真ん中にある3本が三反です。五反は通常、1組1本で、氏子組名が染められている場合が多いです。幟は氏神様に「祭りが始まりますので、どうぞこの地に降臨してください」という意味で立てられます。

 中組の五反は「新町」と染められています。中組の五反幟及び三反幟「下野」は他組の物と異なり、逆になってます。
(←他組の五反幟。新町が逆なのがお分かり頂けるでしょうか)

 これは昔の喧嘩の制裁だと言われてますが、正確には定かではありません。

 二反・三反の幟には放生會(八幡神社の祭りのこと)とか、御祭儀(神を祭る儀式のこと)の他、下野(日の出町や南新など、南新町地区の別称)などと染められています。宮入式中に使われる幟が写真の5本、氏子の境界に建てられる幟が4本そして連中宿に建てられる1本の、計10本が使われます。また、中組は青幟を使用するのも特徴です。



   【がく】

 額は、いわば組の「プラカード」みたいなもので、常に組の一行の前を先導します。

 柄の上に四角柱で額縁を模したものに式順や氏子組名等が書かれています。中組の額は「第一番」「新甼」「放生會」「八幡宮」と書かれております。額は先端にある毛髪状の飾りから推測すると、「毛槍」が変化したものと推測されています。「毛槍」は、江戸時代、大名行列で先頭で振られていた、槍の先に動物等の毛が取り付けられていたものです。額は中組以外に濱之瀬組・下組・御坊町・上組が所有しており、御坊町の額は先が毛ではなく「猩猩(しょうじょう:
中国の伝説の生き物で、酒飲みの神様のことを指す)の人形」が飾られています。


 (←御坊町の額)



  【やたい】  

  屋台は眩いばかりに輝く、獅子の運搬道具です。

 中組の屋台は「うさぎ」の土呂幕(因幡の白兎から来るものです)を飾った長持ち(大きな箱)の上に彫刻をし、金箔を張った豪華な社と太鼓・デッツクを置いて、社の中に獅子頭が載せられています。これを12人前後くらいで押しつつ、後ろを道中笛が付き添って巡行します。
 屋台の歴史も古く、四つ太鼓と同じ200年ほど前には既にあったとされています。当時は獅子はお渡りの際屋台で運ばれるのではなく、手に持ちに舞いながら巡行したと見られており、その他の諸道具を屋台に入れていました。当時は屋台も素朴なものだったと見られています。やがて獅子舞も屋台に収めて移動するようになり、豪華なものとなったと見られています。よって、屋台は祭では主役に当たる道具であるとされ、他組の者には絶対に触れさせません。



 
【よつだいこ】

 四つ太鼓は西日本で多く見られる太鼓台の一種で、御坊祭では祭礼余興道具となっています。

 しかし、その勇壮さや迫力、見栄え、壮大さから、今日の御坊祭には欠かせないもはや存在となっています。四つ太鼓の構造は、台枠に長サイ棒(最も長い担ぎ棒)を取り付け、欄干を取り付け、四本柱の上に格天井を載せ、それに天幕を被せたものです。それに隈取をした4人の子供が乗り太鼓を叩きます。

 御坊祭に四つ太鼓が誕生した頃は定かではありませんが、中組の四つ太鼓は200年前には既に存在していました。当時は比較的裕福だった御坊町と新町のみが四つ太鼓を所持しており、喧嘩が絶えることはありませんでした。四つ太鼓に似たような太鼓台は西日本の特に瀬戸内側に多く見られ、江戸時代に日高地方で盛んだった廻船業の乗組員が伝えたものではないかと推測されています。



 
【たかはりちょうちん】

 高張提灯は別名「纏(まとい)」とも呼ばれ、竹の先に提灯がついたものです。日本各地で祭礼などはもちろん、ありとあらゆる場面で使用されます。「火事と喧嘩はお江戸の華、野狐三次はまとい持ち」などと唄われるように、纏を町の火消しの各組のしるし(時代劇でめ組とかよく出ますね)に使用されたのと同じような具合に、夜間、四つ太鼓等を先導する道具として使用されます。

 中組の纏には表側に「新町」「中組」「下野」、そして裏には「御祭禮」と書かれています。1日〜3日のならし、また4日の若連行事に使用されます。5日の夜は四つ太鼓を押しませんので、本祭に纏を見ることは出来ません。




【ゆみはりちょうちん】

 弓張提灯は行司・世話人・若衆頭らが持っている、いわば名札のようなものです。持ち手が弓のようになっているのでその名が付いています。狭い所の屋根などにすらない様に目印としたり、交通整理の赤色灯代わりにしたり、名札以外にも用途は様々です。これも夜にのみ使用されます。